ゆるさぽという言葉は別に必要ないという人もいるかもしれないけど、ぼくはあったほうがいいだろうなと思っている。その理由としては、HatcheryはあるけどNurseryがないから。
大学院でやっていた研究は、個体数が減少している野生生物が自然の中で増えていくような仕組みを考えるというものだった。「大雑把にいうと」、こうすれば増えていく。
繁殖に成功する → 子供が無事に育っていく → 大人になって成熟する → 繁殖に成功する
Jリーグに直すと、
新たにJリーグに関心を持つ人が増える → 段々と関心が強くなっていく → サポーターになる → サポーターがJリーグの魅力を「広報」する
という図式になる。
で、サッカーファンを増やすというと、繁殖に成功する=卵が生まれるということにフィーチャーすることが多い。サッカーやJリーグに興味がない人を食いつかせるにはどうするかということばかりが注目される。それはもちろん大切なことだ。
結果、選手をアイドル的に追いかけるファンが出てきたり、とりあえずスタジアムに行くようになる人が出てきたりする。これはポジティブなことだ。
ただ、問題があって、Jリーグが好きになった人が、いきなり来シーズン特定のチームのシーズンチケットを買うかというとそうはならないこと「も」ある。
「ゆるさぽ」という言葉は、「子供が無事に育っていく場」として考えると、重要なのではないかと思うのだ。もちろん、ゆるさぽのまま大人(特定のチームの熱狂的なサポーター)にならないこともあるだろうが、それはそれでいいと思う。
Nurseryであり、ぬるい棲息場でもある「ゆるさぽ」という立ち位置の提唱は、Jリーグに関心がある人を増やす(=パイを増やす)ということに関しては有効だろうと考えて、ぼくはおおっぴらに「ゆるさぽ」を名乗っている。
「ゆるさぽ」のいいところは「チキンレース」をしないこと。自分のペースで、自分なりに応援すれば良い。だからといって、「純粋ではない」という批判は妥当ではない。ぼくはよく聴く。
「俺のほうが純粋にサッカーを愛している」という言葉を。こういう言い争いは本当に無益だと思う。だって、純粋性の定義がわからないから。
というわけで、ぼくは「ゆるさぽ」の看板はずっと上げたままでいようと思っている。これは「ここは魚の赤ちゃんの住処です。綺麗にして下さい」という看板みたいなものなのだ。
いらなくなれば下げるかもしれないが、今はこのままでいいや。
あくまでもメモなので、内容は粗いが、とりあえずこんなもんで。