表現者として戦うための節酒宣言!!


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お酒はお燗のほうがいい。
とか言っている場合じゃない。
しばらく飲酒を控えようと思う。

お酒を飲んでいてもいいことは一つもない。内臓に余計な負担がかかる上、栄養価は極めて低い。

お酒を飲むせいで睡眠時間がより多く必要になり、貴重な日々の時間が削られる。

そんなことはよく知っている。

わかっちゃいるけどやめられない。

スイスイスーダララッタ、である。

もっともぼくくらいの酒飲みになると、完全にゼロにすることは不可能だ。そんな目標は立てないほうがいい。あくまでも節酒である。

具体的には、自宅での酒量を減らすこと。
現状は週あたり6.8日くらい飲んでいるので、それを週2程度まで減らす。週末は休みと割り切って、ウィスキー片手にのんびりするといいかもしれない。

酒量が多いため、現在はニッカクリア先生を炭酸で割って飲んでいる。1瓶650円くらいなので、一杯あたり50円くらい。非常に安い。

今後は飲む日数が減らせる分、少しウィスキーのランクをあげることもついでに宣言。日数を減らせば1瓶3000円くらいまでは射程に入る。

ボウモア12年で2500円!!
このへん狙うか!! バーで飲んだら、一杯800円や!!

いやいや、待て。
節酒宣言の記事で、酒を飲む記事を書いてどうする!!

お酒を減らすのである。飲みたくなってどうするのだ。

思えば昨年は大変だった。だから、酒量が増えた。

昨年は渋谷に勤めに行っていたのだが、様々な事象によって過剰にストレスが蓄積していた。

これは会社員あるあるだろうが、上司がどうこう、部下がどうこう、お客さんがどうこう、得意先がどうこう、勤務時間外の連絡がどうこう、突発的な仕事がどうこうである。

その代わり、向こうから来るタスクをこなしているだけで毎月、勝手に給料が口座に振り込まれてくる。
ストレスは溜まるが、今までよりもずっとイージーな毎日であった。とはいえ、書店員という職種ゆえ、貯蓄はさっぱり出来なかったが。

昨年一年は、学校に通ったようなものだ。金銭的に得るものは小さくとも、この先物書きをしていく上で必要な素材をかき集めることが出来た。

また、10年分は人に会った。この先ずっと付き合っていける人にも出会うことが出来た。これは非常に大きい。

まぁまぁ。

昨年が大変だったとか、有意義だったとか、語れるようになったと言うことは、本格的に昨年が終わったということを示している。

もうこの先、昨年が始めることはないし、3年後に昨年に戻ることもない。シュタインズゲートは開かないし、『時をかける少女』(細田守監督、2006年)も現れない。

もう終わってしまったものだし、二度と始まらない。だから振り返ることが出来る。

そして、振り返ってみて1番反省すべきなのが「酒」である。

ともかく昨年は酒を飲み過ぎた。

ストレスが溜まっていたこともあるし、仕事仕事が続いていたので毎日、欲求不満だったのである。つまらなかったのである。

「果てしない渇き」が続き、いつしか酒ばかり飲むようになっていた。良いことでも、悪いことでもあった。

というのも、務めていたのは書店のはずが、実質的には飲食店であったため、お酒についても詳しくなる必要があったのだ。色々と研究した結果、自宅でも美味しいハイボールやジントニックを飲めるようになった(もっとも自宅でジントニックを飲み出すと、肥満という名の二次災害が起こるので常用するべきではない)。

また、「飲み物について書く」ことが少し上手になった。飲み物について文章にするのは実は非常に高度な芸当なのである。

食べ物についてのエッセイは、体験ベースで活き活きとしたものが多いが、飲み物はうんちくが中心となる。単純に味の描写をするのが難しいのだ。

なぜなら、飲み物の味わいは、食品ほどは大きくは違わないからだ。

「春風が舌先で遊びながら軽やかにスキップしていくような飲み口」

「幾千年の歴史が響き渡り内腑を揺るがすような重厚な味わい」

こういう表現を見たことがあるかもしれない。こんな味がするわけがないのだが、こうでもしないと味が表現しがたいのだ。まぁぼくがこういうのを書くことはないだろうけど、自分なりに表現のこつをつかめたのは良かった。

『アル中病棟』にならないようにしないと、ね。

この本は、酒に負けた表現者がどうなるかの顛末をしっかりと書いてくれているので非常に役に立つ。表現者として、体験をどう表現していくかについて学べるところは非常に多い。

原稿に追われて自殺未遂をして失踪するところから始まる『失踪日記』もとても面白いのでお勧め。失踪して、アル中病棟に閉じ込められてから、表現者として飛躍し、商売としてもうまく成立させることが出来たという意味で、吾妻ひでお先生は偉大なのである。

全然関係ないんだけど、表現者の末路系としては、つげ義春先生の『無能の人』もすばらしい。正確に言うと表現者ではないのだが、我々の何割かはああなるなと肝に銘じる必要がある。

「父ちゃん、虫けらってどんな虫?」

「何の役に立たないもの」

「母ちゃんが父ちゃんは虫けらだって」

「そうだ。父ちゃんみたいなもんだ」


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