3つの誤算と解決策について


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新しく書店員として働き始めた上で、3つの誤算があった。
ブログ上で整理した上で、次に繋げたい。

書店員になった目的は、自宅で刺激のない日々を送ることから脱出し、外の世界で刺激を得ること。そして、妻の産休中に安定した月給を得ること。安定していないと保育園の支払いが滞ってしまう可能性があるためだ。

教育については満足したものを与えられていると思うのだが、教育とは非常に高級なものなのである。平均すると月に10万円くらいかかるわけで、これはもう一大事。甘えごとを言っていられないレベルなのである。

とはいえ、社会人としてはポンコツなぼくなので多額の月収を稼ぐのは難しい。なので、やりたいことをやりつつ、文筆業のほうにもプラスがあるようなプランを練る必要があった。

その結果が、BOOK LAB TOKYOでの書店員という選択であって、半分は成功している。多くの人に会えるし、自動的に面白い知り合いが増えるし、その中でぼくの活動に興味を持ってくれた方も多い。

活動があんまり進んでいないのは難点として方向性としては悪くない。

会う人会う人「とりあえずブログ読みます」と仰ってくださることもあって、最近は頻繁にブログを書くようにしている次第である。もう少しポップなわかりやすいことを書けばいいのだが、ブログというのはどうしても「自分との対話ログ」になってしまう。

ブログとは自省録であり、それだからこそ価値がある。人を面白がらせるためにブログを書くのは邪道で、楽しませたかったら作品を創るべきなのだ。そして、ブログとは創作のための補助工具であるべきだ。

これは「ブロガーという出口のない迷路」にも一瞬迷い込んだからこそわかることだ。どうでもいいけど、もうしばらくするとYoutuberも同じような状態になるんじゃないかと思う。ブロガーとは別の種類の地獄になるとは思うが。

さておき、今の仕事の3つの誤算。

1つ目の誤算は、書店員になったつもりが、書店員ではなかったこと。正確に言うと、書店員3割、バリスタ2割、イベンター5割である。書店の仕事だけをやっていればいいわけではないのだ。
特にここのところは、イベントとバリスタの仕事が3倍くらいに膨れ上がっていたため、書店に勤務しているのに本のことを考えない日々が続いてしまっていた。

ただ、これは嬉しい誤算でもある。コーヒーやお酒のことを考えるのは、想像していたよりずっと楽しかった。コーヒーの味を正確に叙述できるようになる日も来るかもしれない。先日も、ドリンクの達人Y氏とテイスティングをしていたのだが、これが非常に楽しい時間だった。

「深煎りのグァテマラはチョコレートみたいな味わいがある」とY氏はいう。そう言われてみると、カカオの香りのようなものが含まれていることに気づく。香りを明瞭に意識すると、複雑な味わいが読み解けていく。

爽やかな口当たり、カカオのような芳醇な苦味のある香り、舌の横をうまみが抜けていき、甘い爽やかな後味が残る。

ルワンダ豆の浅煎りもなかなか美味しいのよね、最初は苦手だったのだけど。

まぁまぁこのように楽しく過ごせているので、それは良いことだ。

イベントも労力こそ大きいのだが、とても大事な仕事なので、やりがいはある。


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2つ目の誤算。

「言われたことだけやっていては駄目だったこと」

どういうことかというと、ぼくが書店員を目指したのは「コンビニ人間」を意識してのことだった。著者はコンビニで働きながら、合間に小説のアイデアをメモっていったという。

思えばコンビニの仕事はルーティンワークが多く、創造性を発揮する必要がない。だから、創作の方に脳のリソースをすべて割けたのだろう。

一方で、ぼくの職場は、チェーン店ではないので、一から考えてシステムを作らなければならないような仕事が多く、個人の裁量も非常に大きい。仕事としては面白いのだが、うっかりすると24時間ずっと仕事のことを考えることになってしまう。

(今このブログを書いているときだって、仕事のことを考えているといえば考えている)

給与が低い代わりに責任も小さいようなポジションを臨んだはずなのだが、どうしても重責がかかってくる。社員という立場だとバイトの子の生活まで考える必要が出てくるので、気まぐれに、適当に、というわけにはいかなくなる。

ぼくの脳のリソースには限界があることを痛感したので、仕事の分は、給料の分だけ働く。そういう線をしっかり引いて、やりたいことをやる時間、休む時間、家族と過ごす時間を確保する必要がある。

とにかく線をしっかり引く。

以前聞いたことがあるのだが、生命保険の仕事をしている人は、勤務終了後は仕事のことは絶対に忘れると強く暗示をかけるらしい。

というのも、お子さんをなくしたお母さんに保険金が出ないことを告げに行くというような仕事があったりするからだ。

「どうして!!!どうしてですか!!!!うちの子供が死んだのは、私のせいだっていうんですか?こういうときに保険金がでるというから契約したのに!!!!詐欺師!!詐欺!!!!訴えるわよ!!!人でなし!!騙された!!!(号泣)」

「この度は、こういった判断になってしまったことは大変申し訳なく思っております……。我々といたしましては、これが今できる最大限でして……。」

「(号泣)」

3時間後……。本社に戻り、報告書を書く。そして、会社を出るときに、今日の記憶をすべてなくす。プライベートの時間のため、休んで回復するため、すべて忘れる。思い出したら負けなのだ。絶対に思い出してはいけない。

これは極端な例だが、線を引くことで、人生を分割することが出来るというのは事実だろう。

いつもカラーマーカーを持ち歩いて、作家の線、書店員の線、バリスタの線、パパの線、遊び人(?!)の線をノートに引くようにしたらいいのかもしれない。物理的に線を引くことで気持ちを切り替える。

しっかりと気持ちが切り替わっていたほうが、書店業も、作家業もうまく進むはずだ。気持ちの切り替え専用のノートを作ろうかな。よし、早速。時間の使い方を曖昧にしないためにも、時間を使う前に何の時間なのか確認してからやるようにしよう。

長くなったので手短に

第三の誤算は勤務時間が安定しないこと。
社員の務めは、学生バイトがいない時間を埋めること。ということは7時半から15時という勤務もあるし、15時から23時半という勤務もありえる。これが曜日にかかわらずランダムに入ってくるので、予定の把握が非常に難しい。来週の水曜日に何をしているのか、まったく予想がつかないのだ。

(ちなみにやるべき仕事もランダムに入ってくる)

月から金の8時ー17時であれば、リズムが作りやすい。しかし、そうもいかないのである。その上、夜のシフトが多いので、睡眠時間も安定しない(ぼくは眠りにつくのが苦手なタイプ)。

それでもまぁ4、5月みたいな異常な勤務時間じゃなければ対応可能なはずだ。

あとは、書くべき時間と考える時間を分けること。今この2つがごちゃごちゃになっているから、頭もごちゃごちゃしてただ辛い。ひたすら辛い。頭を整理して、タスクを分配する時間と、分配されたタスクをこなしていく時間に分けるといい。そして、時間配分的に難しい仕事は全部断るようにする。

断れない仕事は、期日を伸ばす。

こういう努力が必要だな。

精神的にあまり良い状態ではなく、疲労も取れていないので、どうにも切れ味が悪い日記になってしまったが、今日はこのへんで。もう少し短く、切れ味がある文章を書くには、やはりプロットくらいは打つべきなんだよね。プロッティングも思考のカテゴリーに加えよう。


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