サポーターをめぐる冒険とJリーグ本について【ブ・ログ24時間耐久⑧】


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文章を書くと疲れる。

過去の執筆について思い出してみると、心底疲れた記憶が蘇ってくる。
しかし、疲れるのは悪いことではない。ぼくの愛するサッカーもバスケもとても疲れるスポーツだし、疲れるからこそ心地よさを感じるのだ。

ちょっと思い出してみよう。

ぼくは『サポーターをめぐる冒険』を世に出した。そして、幸運なことにサッカー本大賞2015を受賞することが出来た。何とFOOT×BRAINにも出演することが出来たのだ。自分のことだとは思えないくらい、凄まじい成果を出すことが出来た。

だけど、とても疲れたのだ。
サポーター界隈との繋がりが出来て、サポーターという集団の感情とダイレクトに交流する中で、『サポーターをめぐる冒険』のテーマは生まれていった。しかし、これが本当に疲れる行為であった。

人間一人と付き合うだけでも疲れるのに、集団の共意識とコミュニケートしなければならないのだ。ぼくは、生命体としての地球「ガイア」の意志に触れたときの染井芳乃のような気分であった。スプリガンという漫画の登場人物である。

彼女は、霊と交信する能力を持っていたのだが、その力を使って地球そのものと交信しようとする。しかし、大事な局面で「こんなものと交信できない!!」と投げ出すことになってしまった。大きすぎる意志の塊は、恐怖なのである。

ぼくは恐山のいたこのように。サポーターの意志を憑依させ、文章へと形へ変えていく作業を行った。ある意味では自分を殺すことでテーマを作ったといえる。もちろん、単に殺すのではなく、一旦殺した上でテーマを表出させ、叙述するときには自分の持ち味を加えていった。

このやり方は、一生のうちに何度も出来るものではないと感じた。もしぼくが、テロや戦争に巻き込まれて、その被害を訴えるために一生を費やす覚悟をしたとする。その時は同じ方法を使おう。すべてを投げ打って、自分能力を使おう。

ただ、そうでもなかったらとてもやる気にはならない。次は死んでしまうかもしれない。多くの人の意志に影響され、押し流されていく中で、ぼくは東大の本郷キャンパスへと辿り着いた。あそこに辿り着かなかったら、『サポーターをめぐる冒険』は完成しなかった。

何のことかわからない方は最終章を読み直して頂きたい。

あれは、ぼくにとってもっともセンシティブな記憶の1つだ。出来れば思い出したくない情けない過去だ。

ぼくは未だに稼ぎも少ない、社会人と名乗っていいのかもわからない中途半端な存在だ。そんなぼくに小説を書いてみろよと告げた同級生は、コンサル会社のアクセンチュアへの内定を蹴っていたのだ。ぼくはコンサルという職業の人が苦手だ。もちろん、仲の良いコンサルの人もいる。牡蠣が好きな人もいる。

しかし、大まかに言うと稼ぎがいい人に対するコンプレックスがあるのだろう。東大に入りさえすれば何とかなると考えていた浅はかな時代もあった。東大に入っても駄目だったと打ちのめされたこともあった。

それは筋違いな結論なのだろう。何処へ行こうが、ぼくのようなやつは安定した給与をもらえるような仕事には就けない。

35になってようやく覚悟が出来た。朽ち果てる覚悟である。このまま死んでもしょうがないなと思えるようになった。その程度には無能な人間なのだ。

とはいえ、35というのはいい年齢らしい。先日、宇都宮徹壱さんと千田善さんと共に、篠原美也子さん宅にお邪魔したのだが、その時言われたことであった。

35歳なんてまだ未来が広がっている年齢らしい。仕事を変えてもいいし、新しい挑戦をしてもいい。素晴らしい年齢らしい。最終的には、ぼくも、宇都宮さんも、酔っ払って舌が回らなくなってしまったが、とても良いお話を聞くことが出来た。

千田善さんがオシムの通訳を務めることになったのは47歳の時らしい47歳からでも人生は変わりうるのだ。ぼくの人生にはロールモデルはいない。レールも引かれていない。

正直あんまりお金はないし、飲み会の会費が5000円なんて言われると、どうやって理由を付けて断るかばかり考えるようになる。

ああ、話が逸れた。逸れてもいいことがとても気持ちが良い。ロジックを整えることは大事だが、整えすぎると表現する楽しさが失われる。いや、これは表現とは言えないかもしれない。放出である。

とまぁ、お金が足りない情けない35歳なのである。実家暮らしに甘えて、売れない作家業(というより書けない作家業)を続けられているが、これもいつまで持つかどうか。タイムリミットはいつなのかわからないが確実に存在している。

ぼくは書くしかないのだ。しかし、うまく書けない。どうすれば楽になるかと考えると一番手っ取り早いのが死ぬことだ。煩わしいことはすべてなくなる。

もし余命が半年と言われたらどうするか。ぼくは書くべき内容を絞ることが出来る。途端にとても楽になるだろう。書きたいことが多すぎるが、書く能力が追いつかないのが、本当にストレスなのだ。

「早く書け」と言われる度に、その場で破裂しそうになる。ぼくだってわかっているのだが、前に進まないのだ。やれと言われて、やれないのだから、もう消えてなくなるしかないだろう。

幼いメンタリティ。社会人とは永遠に名乗れそうにないな。
自分の幼さ、未熟さ、惨めさが最も象徴的に現れたのが、あの安田講堂での前の出来事であった。それは今にも延長し続けているから、今でも惨めさは続いている。

ぼくは大学院に進んだことで、稼ぐ機会を失い、奨学金という借金を背負った。

大学教授は「金には不自由していないのに何が不満なのだ」と言われたことがある。世間知らずなのである。いつか返さなければいけない奨学金と、年に50万円くらいの学内バイトだけで、不自由なく暮らせるわけがないだろうに。未だに腹が立つということは、この怒りも連続しているのだろう。

コンサルの給料はよくわからないが、彼らの生涯年収に追いつくことはないだろうな。別にお金が欲しいわけではないが、稼げるお金が少ないというのは社会的生物として弱いということなのである。物書きをしているうちは、大当たりでもしない限りはなかなか難しいだろうなぁ。

まぁでもいいの。今がベストだから。でもお金はないの。頼むからぼくを会費6000円の飲み会に呼ばないで欲しい。飲み階は全部池袋の居酒屋バッカスで3000円に抑えよう。それが一番美味しくて、一番幸せになれるからだ。

さておき。

大学院時代についてはなるだけ書かないようにしている。今でも、火を噴くような攻撃をしてしまいそうになるからだ。教授が引退した後にたっぷり書こう。今も政治に忙しいだろうから、政治が終わるまでそっとしておこう。うん、そうなの。大学の先生って政治家なの。政治の教養なんかまったくないのに。学級会みたいなノリで、大学を運営しているのだ。

ああ、やめとこう。

ともかく、『サポーターをめぐる冒険』は、ぼくが最もコンプレックスとしていることへとい流れ着いたことによって、作品としての生命を得た。

思い出す。辛かった。本当に辛かった。梅田の駅から少し行ったところにあるカプセルホテルに宿泊していた。3日間、梅田の街を朦朧としながら彷徨った。ネットカフェで課長島耕作を読みながら、何度も面接を受けても企業に入れなかった自分の社会不適合性を呪った。

どうしてぼくは会社には受け入れられなかったのか。それなりに有能だとは思っていたのだが、恐らく誰も使おうと思わなかったのだろう。ぼくは宇宙を持っていたが、社員として働くというのは誰かの宇宙で生きるということなのだ。多分ね。

東京からメリークリスマスという章を力業で書き終えた後、とんでもない疲労が押し寄せてきた。疲労、疲労、疲労である。

土砂降りの痛みの中を傘も刺さずに走って行くような、そんな疲れを感じながら、ビールを飲んだり、課長島耕作を読んだりしていた。

課長島耕作はエロ本のようなものだと紹介されることがあるが、それは間違っている。この作品は、表には出ない、人間の裏の顔を、裏の人生を描いた作品なのである。

表の自分が、裏の自分へと合流していく。そんな流れが生まれた。流れが生まれれば自然と文章は紡げる。あの時、苦しかった。本当に苦しかった。生みの苦しみとは半端ではないのである。

鹿島アントラーズがFC東京を圧殺する試合から始まった1つのドラマが完結した。

そういえば、最終章でぼくに宣告をした友人は鹿島くんという名前であったのを思い出した。ぼくは結局、鹿島アントラーズを応援することにはならなかったが、鹿島とは何かと縁があるようだ。今度レアルマドリーと対戦するので、この時ばかりは全力で応援しよう。

初観戦記事から『サポーターをめぐる冒険』まで、人生で最も疲れた期間の1つであった。これほど多くの人とやりとりしたり、会ったりした期間もないだろう。それはぼくの宝物である。疲れれば疲れるほど思い出に残るのだ。

何にせよ『サポーターをめぐる冒険』が形になったのは良かった。これが成立しなかったら作家とも名乗っていないだろうし、別の仕事を探していたことだろう。

ただ、次が出ない。もう駄目だ、これは。
どうしたらいいのか、抜け出す道が見つけられない状態になってしばらく続いている。原稿はほとんど出来ているのだが……。

どうやらぼくは「相談」するということがあまり上手ではないらしい。もっと編集者と相談すれば、手っ取り早く良いものが作れるのかもしれない。しかし、ちょっとしたやり取りから自信を失ってしまったり、まったく違うものに作り直す必要に駈られたりしてしまい、さっぱり前に進まなくなってしまうのだ。

これは、妻に原稿を見せて「ちょっとわかりづらい」と言われただけで、1ヶ月近くスタックしてしまうというほど深刻なものなのだ。

『サポーターをめぐる冒険』の続編については、絶対に世に出したい。どうしても出したい。でもどうやって前に進めばいいかわからなくなってしまった。面白いのかどうかもよくわからない。本当にどうしたらいいんだろうな。

ビジネスとして淡々とこなしていくべきなのだろうが、そのビジネスがうまかったら文筆業なんか始めていないのだ。

まぁ一日二回のコアタイムを作ってそこで淡々と文章を作っていくことが出来れば違うのかもしれない。もう一つ、未完成の状態で、編集者に送る習慣を付けるといいかもしれない。完成品まで仕上げようとするとどうしても時間がかかるからだ。

編集者はチームメイトであり、信頼して雑なパスを出すべきなんだろう。ぼくはチームメイトから批判されることを恐れているのだろう。それじゃいいサッカーは出来ない。

ブルーハーツが歌っている。

セックス下手でもいいだろう
ルックス変でもいいだろう
ビックス舐めてりゃいいだろう
ソックス穴が空いてるよ

チューインガムを噛みながら、という曲の一節である。酷い歌詞だ。初めて聞いた中学生の時に、こんなに色気がない「セックス」という言葉の使い方はないと思った。そして、
それは今でも変わらない。

ただ、「セックス下手でもいいだろう」というテーマを表現するためには、このくらい詩として稚拙であるほうが成立しているとも言える。

下手でもいいんだよ。変でもいいんだよ。ビックスとソックスの下りは、単に語呂を会わせるために付けられているので意味はない。それでもいいんだよ。

下手でもいい。でも下手なだだけじゃ駄目だ。
愛がなければいけない。愛のあるやつが一番いいってananにだって毎回書いてあるだろう。

ただし、愛とは何かというのがまた1つ大きなテーマなのである。

他者愛は自己満足ではいけない。「他人を愛している自分が好き」とか「他人に強く愛されているからこそ自分の価値が確認できる」とか、そういうのは愛とは言えないな。ナルシズムに属することだ。

では愛とは何か。飽くなき与える行為である。キリスト教的な定義ではそうなる。

文章に愛を込めることが出来れば、技術的に拙くても、それは心地よいメロディーになる。今回の一連のブログ記事は愛を込めていない。ここにあるのは、暴走した自己愛だけである。だが、本当に書くべき文章は愛を込める必要がある。

「原稿は愛する誰かへのメッセージ」

この言葉を常に見えるところに貼っている。ああ、でも、だから重くなるんだろうな。行きずりのカジュアルな感じでもいいんだろうと思うよ。そのくらい気軽に愛を交換し、愛を深めていけばいいのかもしれない。

そう、愛とは、最初から最大限のものとしてあるものではない。最初は小さな、吹けば飛ぶようなものに過ぎない。次第に深まっていき、どこに愛があったかは、自分が死ぬときにしかわからないのだ。

原稿に愛を込めるというテーマはちょっと難しい。ともかく、未完成でも編集者に送り、指示を仰ぐ癖をつけるべきだろう。誤字脱字とかどうでもいいんだよ。ミスが多くても点が取れれば一流ストライカーなのだ。

Jリーグのことをやっていても、コンサルの収入には届かない。というか、コンビニバイトにすらも敵わないかもしれない。でも、ぼくはやっていたいんだよな。

書いた後売れるかどうかとか、そういうのも自分では心配しないようにしよう。とにかく書こう。まずはブラジル本を片付け、出版できるかどうかはよくわからないがJリーグ本を片付け、その後は別の企画を通したのでそっちに取り組もう。

ぼくは文章を書いていたい。書くのが好きなのだ。本当に疲れるが、疲れてでも書きたい。
夜の時間帯になって執筆効率が戻ってきた。21-23時のユニットも執筆にはいいかもしれない。

ああ、とにかく書きたい。もっと書きたい。ああああ、どうしてこんなに書けないんだ。どうしてこんなに無能なんだ。どうしてこんなに情けないんだ。どうして、どうしてなんだ。でも、その気になれば言葉は溢れてくるのだ。

読者に届けたいという気持ちもあるが、そんなことを考えていると書けなくなる。読者は大事だが、読者のことなんか忘れてしまおう。そのほうが上手く書ける。

Just Reader and Author WIN-WIN

石原さとみもといかよこパタースンも言っているではないか。

ブ・ログ24時間耐久2016⑧
執筆時間50分。累計364分。
5771字。累計24723字 。


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