ブ・ログ24時間耐久2016

ナルシストへの憎しみと自家中毒について【ブ・ログ24時間耐久④】

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子どもの弁当を詰めて、朝食を与えて、運搬してきた。事故があったらしく道路が異常な混み具合であった。ここ1年で一番混んでいた。早起きしたこともあって非常に眠かった。

朝一の執筆習慣を付けるといいような気もするのだが、運転する義務があるので少し危ない。執筆集中モードになると運転していても意識が四方八方に飛んでいってしまうのだ。

そして、朝の貴重な時間が2~3時間という単位で吹き飛ばされていく。

つらい。
ああ、つらい。
本当に、つらい。

泣き言を言うなとか、甘えるなとか言われるだろうけど、辛いものは辛い。
子どもがいて家庭があるから幸せだと言われても辛いものは辛いのだ。
どれだけいいことがあろうが、辛い物は辛い。

この世で一番幸せな瞬間だったとしても、同時に最悪の出来事があったとしたら、印象としては「辛い」が先行するのではないかと思う。

こういう暮らしをしているので、「24時間が自分の時間で、プライベートも仕事も旅も精一杯楽しんでいる魅力的な俺」みたいなものを表現されると、反射的に噛みちぎりたくなる。半分以上はやっかみなのだが、許せないほど憎く感じられることもある。

かくいうぼくも、家庭持ちとしては自由なほうなのだろうが、「自由で魅力的な俺」なんてことは口が裂けても言わないだろう。それは、「私、お胸が大きいのよ!」と自慢する女性のようなものなのだ。

さあ、叩いてくれ。
さあさあ、どうぞ、叩いてくれ。
嫉妬してくれても構わないよ。
君に嫌われたとしても、私の魅力に惹きつけられる人はたくさんいるからね。

こういう自己表現なのだ。

こういう自己表現は醜い。ナルシズムのなれの果てだ。
自己愛が溢れているが、美しさは感じない。
これは好みの問題でもある。

ナルシストとは仕事をしてはいけない。都合の良いときは甘いことを言ってくる。

「あなたと仕事が出来て本当に嬉しい!ずっと憧れでした!」

甘い言葉を耳元でささやく。
でも、騙されてはいけない。彼が本当に嬉しいのは、「私といられること」ではないのだ。

「私が横によって、いつもより飾られて見える自分が大好きでしょうがない」

そういう意味なのである。
だから、私という存在が不要になった場合には、驚くほどの冷酷さを発揮する。

たまにいるでしょ。SNSでそういうの書いている人。
SNSで自分の写真をたくさん載せていたり、自分の傷口とか、病気の時の写真とか、痛々しいものでも平気で写真を載せる人はナルシストの傾向がある。こういう人は……20人とか30人とかそういうスケールで見たことがある。

ナルシストは、自分のこと以外興味がない。
だから、人のことを肩書きで呼ぶことがある。
ぼくは、ぼくであり、肩書きではない。

ぼくが好むのは、ぼく自身を、直観的に見つめてくれる人であって、肩書きに引かれる人ではない。

だから、ナルシストはうまく共生することが出来ないのだ。

ナルシストとはなるだけ組まない。これが人生の指針になった。
いや、少し違うかもしれない。
ナルシストであってもいい。だけど、簡単にナルシストだと悟られてしまうような底の浅い人とは付き合いたくないということだ。

それはまぁいいや。
SNSで友達になって、いくつか表現を見れば、ナルシストであるかどうかはすぐにわかる。
ナルシストであった場合には、友達という範囲を超えないように線を引けばいいだけなのだ。

ナルシストの悪口が言いたいわけではない。それはその人の持って生まれた性質なんだから、その人が、その人なり、うまいこと付き合ってくれたらいいだけだ。

ぼくにはまったく関係ない、それだけの話である。
ナルシストは「表現」を好むが、ぼくは「ナルシズム的な表現」を好まない。
もっと密やかな、可愛らしいものが好きなのだ。


ナルシストにはなってはいけないが、「自己愛」がなければ文章は書けない。
予備校に通っている時にとても仲の良かった女の子が勧めてくれた書籍『自己愛とエゴイズム』を思い出す。
ハビエルガラルダという上智大学の先生が書いた本である。

自分を愛するということと、自分だけを愛するということは、似ているようでまったく違う。

自分だけを愛する=ナルシズムの場合には、表現の底が浅くなる。つまり、自分という人間の範囲を超えて、拡張していくことがないのだ。

自分を愛しているならば、時には自分をぶちこわす勇気も必要だ。それは書籍によって成り立つこともあるし、人間関係によって起こることもある。ぶちこわされて、台無しにされて、もう駄目だと本気で落ち込む。

そんな時でも何とか再生しようと思うのが自己愛であり、壊した存在を憎むだけに終わるのがナルシズムである。

という理屈が正しいかどうか。書いていて若干自信がない。
ナルシストは表現をする。そして、その多くはある一定以上魅力的である。
表現の底が浅いという大欠点はあるが、その分、様々な要素を取り入れていくことで補完していく。

だから、商業的に成功している人が多いのである。

でも、ぼくは嫌いだな。
好きじゃないものは好きじゃない。

その人の写真なんか見ても全然面白くない。写真は喜んで公開するものではなく、望んでもいないのに公開されるほうが色っぽい。

これはスケベってことなのかもしれないな。ナルシストのマスターベーションを見ていてもエロスを感じないのだ。それに、ああ、この人ナルシストだなとわかると、大量に載せられたその人の写真が、自らを慰めることによって恍惚としている表情にしか見えなくなってしまうのだ。

嫌いなものはたくさんある。嫌いなものを嫌いだと書くだけでは、文章としてよろしくない。だから、その嫌いな理由を抽出して、どういう感情が原因になっているかを考え、違う次元へと昇華させていく努力が必要だ。

とはいえ、時にはこういうもいいだろう。たまには書かせてくれ。

ネットで知り合った人と飲みに行くと驚かれる。

「ハトさんは、毒舌も下ネタも言うんですね」

男子校育ちを舐めてはいけない。単にTPOを踏まえてネットでは発言しないだけなのだ。どちらかというと、ぼくの思考は毒にまみれている。毒だ、毒。

もしかしたら自家中毒を起こしているのかもしれないな。
たまにはペロっと吐き出すべきだ。

ぼくは人は好きだが、ナルシストは嫌いだ。
だって、感じが悪いんだもの。

ブ・ログ24時間耐久2016④
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