「トモにブラジルへ!」 ちょんまげ隊、史上最大の作戦に随行することに


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2014年5月25日。
ぼくは上野駅で買った「ひげ剃り」を片手に、宮城県の東部に位置する牡鹿半島を訪れてきた。ちょんまげ隊のとあるプロジェクトに随行するスタッフの一員として――


「ちょんまげ隊」というのは、「バカ殿」と見紛うような「ちょんまげカツラ」を被ったツン隊長の号令の元に集まる集団のこと。

活動は多岐に渡るが、「日本代表のサポーター活動」「東北地方の復興支援チャリティー」の2つが主なものである。サッカー観戦仲間で集まって、ボランティア活動をしているというイメージを持って頂ければいい。NPOの登録などはしていないが、営利団体ではない。

2011年の震災以降、東北地方を中心にボランティアでチャリティー活動を続けてきた「ちょんまげ隊」であるが、その活動資金は非常に乏しい。東北までの交通費や滞在費は参加者の自腹であることはもちろん、WEBでの告知や、被害や復興の実態や、ちょんまげ隊の活動を伝える「被災地報告会」への交通費も基本的には自腹で支払っているようだ(「ようだ」と書くのは、全ての事例を確認したわけではないため。例えば招待された例などもあるかもしれないが、未確認。)。

「被災地報告会」を行った場所は、200箇所を超えるらしい。開催した場所は、全国、いや全世界に散らばっている。聞いた限りでは、カタール、ヨルダン、アメリカ、オーストラリア、中国、ドイツ、フランスなど。そして、昨年のコンフェデレーションズカップ(W杯の準備を兼ねて前年に行われる大会)では、ブラジルでも報告している。

ブラジルには、第二次世界大戦後、日本人移民が数多く訪れたこともあり、地球の裏側にある(つまり、世界一遠い場所にある)というロケーションの割りには、何かと縁の深い国だ。そのブラジルで「被災地報告会」をする中で、現地の日本人・日系人のコミュニティとの縁が生まれた。

そして……

2014年……

細々と活動していたちょんまげ隊が、サッカー仲間を中心に広く寄付を呼びかけ、あるプロジェクトを立ち上げた。

それは……

震災以来細々と活動していたちょんまげ隊にとっての……

史上最大の作戦である!!!


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プロジェクト名は「トモにブラジルへ」。
企画の概要はというと……

宮城県東部の牡鹿半島の中学生4名を、ブラジルで開催される世界最大の祭典「ワールドカップ」へと案内するというもの。学生は、本人の強い希望と親の同意の元に、「わたしの夢」について書いた作文を提出した上で、選定されている。といっても、今回は、寄付金が十分に集まったため、結果的に希望者を全員連れて行けることになった。

約一週間、移動距離は地球1周以上、予算は1人当たり50万円のビッグプロジェクトだ。

4人を連れて行けるだけの寄付金が集まったのは、ノンフィクションライターで写真家の宇都宮徹壱さんが、WEB記事を書いてくれたことが大きかったと聞いている。
被災地の子どもたちをブラジルに! ちょんまげ隊の壮大なW杯プロジェクト

これから書く内容は、宇都宮さんが書いたものと重複する部分もあるが、敢えて重複は厭わずに書くこととする。宇都宮さんが書いてから1ヶ月で具体化してきた部分もあるし、随行するぼく自身の活動を自分で説明したいと気持ちがあるためだ。

牡鹿半島とは……?

今回対象となっているのは宮城県石巻市にある牡鹿半島の中学生4人だが、なぜ牡鹿半島の学生なのか。

牡鹿半島というのは非常にアクセスの悪い場所にある。
地図でみてみよう。牡鹿半島の位置はこのへん。

スクリーンショット 2014-05-27 09.09.34

半島の先端部に近い鮎川までは、東京から約450 km。仙台から、約90 km。

スクリーンショット 2014-05-27 09.09.42

仙台から90 kmと書くとそれほど遠い印象にはならないし、仙台から60 kmの石巻市中心街までは電車も走っている。

しかし、石巻から牡鹿半島の先端までは電車がなく、2時間に1本程度のバスか自家用車に頼るしかない。また、海岸線がリアスになっているため、道路も「山道」のように起伏が激しく、ちょっと先まで行くのも一苦労だ。不慣れな我々が行くと、あっという間に車酔いするレベルの道であった。

次の記事で詳述するつもりだが、牡鹿半島の付け根(あるいはその北)にある「女川」、東部にある「寄磯」、南西部に位置する「大原」と「鮎川」を回った。

地図上で見ると近そうに見えるが、グーグルマップで計算してみたところ、2日間の石巻市駅より東の移動時間および距離は……

5時間30分 160 km

たった160 km。時速80 kmで走れば2時間。この距離を行くのに5時間半もかかる。計算してみると、グーグルマップ上のナビで、平均時速29 km!!! この数字からも、道路の状況を読み取ることができるのではないだろうか。

こういった交通状況であることに加えて人口も少なく、現在は4500人ほどのようだ(女川地区は別統計で約10000人)。
※参考WEB資料 「oshika @ ウィキ

つまり、行くのが大変だし、人も少ないため、復興の進展が後回しにされてきたという状況があったそうだ(ツン隊長の実感に基づく意見)。

震災で大きな被害を被り、半島内には未だに撤去されない瓦礫が散見される。震災から3年が経っても復興はまだ終わっていない。

もっとも、ハードの面での復興は、時間とともに行政的に解決できる部分もあるだろう。

しかし、仮に建物が綺麗さっぱり元通りになったとしても、それで以前と同じ状態にリセットされるわけではない。

「人の心」の問題が依然残されるのだ。

「トモにブラジルへ」プロジェクトのねらい

プロジェクトの主な狙いを紹介したい。

・日本代表対コートジボワールを観戦する。

人類史上最大の祭りである「ワールドカップ」の現場に連れて行くこと、試合を観戦させること。

・リオデジャネイロやサンパウロの、日本人・日系人およびブラジル人と交流する。

異文化交流をすることで、子供達の世界が大きく開かれていく可能性がある。
この2つは、あくまでも第一義的な目的である。誤解を恐れずに言うならば、「旅に出る口実」のようなものだし、主目的でありながら「デザート」とか「おやつ」のようなものなのだ。

・復興支援に対するお礼の気持ちを伝える。

ブラジルには日系人のコミュニティもあるため、震災時には多額の支援金を初めとして、多大なる援助をしてもらったらしい。しかし、その実態は、我々日本国民はもちろん、支援された立場である被災者も詳しく把握していない。

被災した子供達4人が、「直接自分の口で」感謝の気持ちを伝えることも重要な目的の1つとしている。お世話になったことに対して感謝の気持ちを、「英語」、「フランス語」、「スペイン語」、「ポルトガル語」で子供達にスピーチをしてもらう。スピーチの内容や、訳出については、大人達の援助はほとんどない。自力で調べて、しっかり練習する必要がある。

子供達は、「観光」に行くのではなく「親善大使(アンバサダー)」として、ブラジルと日本を繋げるという大きな使命を抱え、ブラジルに渡航するのである。

ある意味では子供達は、子供であることを辞めなければいけない。照れて親の後ろに隠れることはできない。牡鹿の代表として、宮城県の代表として、日本の代表として、堂々と振る舞わなければならない。

スピーチは1分程度だし、高い社交能力が求められるわけではないが、子供達にとっては「人生のターニングポイント」たりえる重要な旅になるだろうと我々大人達は考えている。

・牡鹿半島に夢と希望をもたらす。

そして、最も重要なのは、「自分たち“だけ”が楽しい旅を経験すること」ではない。ここで終わっては意味がないのだ。

ワールドカップを観戦し、「親善大使」としてブラジル在住の方々と交流した後、そこで経験したことを帰って伝えなければいけない。

ブラジルで何を経験するのか、それによって自分たちの中で何が変化するのか。それは終わってみないとわからない。

今描いている夢に進む覚悟を決めるかもしれないし、煌めくような別の夢を見つけるかもしれない。あるいは、体調不良や時差ボケに悩まされ、「2度と海外なんか行かない」と暗い決意を胸に戻ってくるかもしれない。

それは、終わってみないとわからない。しかし、そこで経験したことをみんなに伝えるというのも大切な「親善大使」の仕事なのだ。4人の子供達からどんな言葉が聞けるのか。あるいは、「子供達は子供達のまま」なのか、それとも飛躍的に成長するのか。

もし、成長し、立派な姿を見せることが出来て、希望に溢れた未来を語ることが出来たならば、牡鹿の子供達だけではなく大人達も希望と勇気を得ることができるのではないだろうか。

それこそがまさしく「復興」の一ページとなのかもしれない。

ぼくがプロジェクトに参加する理由

さて、最後にぼくがプロジェクトに参加した経緯と理由をお伝えしたい。

・出来なかったボランティア

ぼくが大学院で研究していたのは「アワビ類」で、牡鹿半島は重要な調査地の1つであった。大学院には行って初めて調査を行ったのは「泊浜」の海で、その後も年に数回訪れていた。

だから、牡鹿半島には「縁」のある人間でもあるのだ。

しかし、震災が起こったとき、ぼくは家で震えていた。復興支援の活動をする知人を尻目に、ぼくは「家族と一緒にいなければいけない」という名目の元、自分の家を離れることが出来なかった。

それどころか被害状況すらも恐ろしくて確認できなかったのだ。本当は、東北に行って瓦礫を撤去したり、炊き出しをしたりすることで貢献したかったのに、あの時はどうしても出来なかった。

ぼくが時折実験をしていた塩竃の水産研究所は、無事ではあったものの施設に大きなダメージを負ってしまい使えなくなった。調査地として時折訪れた「泊浜」も大きな被害を負ってしまったと聞いている。

あの時何も出来なかったことに対する後悔はずっと自分の中にくすぶっていた。そんな中で、「トモにブラジルへ」のプロジェクトの存在を聞いた。

以前より「ちょんまげ隊」の活動には興味を持っていたのだが、それほど積極的に関わってはいなかった。しかし、このプロジェクトの全貌を聞いた時、ぼくはもう決めていた。


「お金はいくらかかってもいい!!ぼくにも協力させて欲しい!!!」

実際の所、このプロジェクトに参加することで、お金は5~10万円必要となる。スケジュールは馬鹿みたいにハードだし、責任だってとても重い。
人様の子供を30分預かるだけでも身が引き締まるのに、今回は1週間近く預かり、しかも地球の裏側まで連れていかなければならないのだ。

しかし、リスクは大きいが、リターンも大きいのも事実であろう。

企画の趣旨と詳細なスケジュールを聞いた後、このプロジェクトから得られるものは非常に大きいと確信した。大きなリターンが得られるであろう。

しかも、そのリターンは東北の牡鹿半島の人々が得ることが出来るのだ。また、このプロジェクトを通して、自分にも何か変化があるかもしれない。

ぼくは、つい最近夢を叶えることが出来た。「本を書く」という夢を叶えることが出来たのだ。しかし、「次の夢」が見つからず、どうにもやる気が出ない状態に陥っているのも事実。

子供達が「夢」を考えるのを、横で見守ることで、もしかしたらぼくにも大きなリターンがあるかもしれない。もし、そんなことがあればとても嬉しいのだが、どうなるだろうか。終わってみないとわからない。


・記録する人

今回のぼくの仕事は、「心の記録員」だ。

一連のスケジュールに同行しながら記録をしていくつもりだ。もっとも、単に旅程を記録するだけならぼく以外にも出来るだろう。しかし、子供達の心情の変化や成長の過程を、丁寧に記録していけるのは、ぼくしか出来ない仕事の1つではないかと考えている。

作家としてのぼくのテーマである「夢を持つ生き方」。そして、実際に目の間に夢を描いて、自分を変えようと地球の裏側まで行くことを決意した子供達。

きっと相性はいいはずだ。何を感じるかわからないし、どこにアウトプットするかもわからないが、しっかりと見定めてきたい。


このような経緯で、ぼくは「トモにブラジルへ」プロジェクトのスタッフとして随行することになった。

しかし、ただ行くだけでは足りない。いきなり現地に行っただけではぼくの仕事である「心の記録」は出来ない。

まずは、子供達に会わなければ。そしてちゃんと挨拶をしなければいけない。子供達といっても、地域を代表する立派な親善大使なのだ。失礼があってはいけない。

5月25日、午前七時。
JR上野駅に降り立ったぼくは、コンビニでひげ剃りをかった。慌てて出てきたため、うっかりひげ面のままだったのだ。

ぼくは、安いカミソリを握りしめ、コンビニのトイレでヒゲを剃っていた。そうしているうちに、待ち合わせ場所に「ツンさん」が現れた。

そうして、「史上最大の作戦」の事前打ち合わせのため約40時間に及ぶ行程が始まった。

……

別記事に続く。


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